心の詩  瀬上敏雄

万象
            八木重吉


人は人であり


草は草であり


松は松であり


おのおのの栄えるすがたをみせる


進歩というような言葉にだまされない


懸命に無意識になるほど懸命に


各各自ら生きている


木と草と人と栄えを異にする


木と草はうごかず 人間はうごく


しかし うごかぬところへ 行くためにうごくのだ


木と草には天国のおもかげがある


もううごかなくてもいいという


その事だけでも天国のおもかげをあらわしているといえる



      ◇
「万象」とは、この天地間に存在する一切の形あるもののことである。
形あるものは、それぞれ与えられた いのち を生きる。
人は人のいのちを、草は草の、松は松の、椎は椎の、あるがままの自分の
いのちを生きているのである。それは神とか仏とか呼ばれる、いのちをいのち
たらしめている根元の世界から、願われ祝福されて、おのおのの栄えある姿を
示しているのであろう。それであるから、「進歩」というような言葉に決して
だまされたりはしないで、ただひたすらに、懸命に、与えられた自分のいのちを
生きているのである。


詩人はいう。
「木と草はうごかず、人間はうごく」と。本当にそうである。木と草は、真実の世界から願われ、
祝福されてきたいのちを、無心に生きているから、もう動かなくていいのである。しかし人間は、
自我の欲望の充足のため、さらなる進歩を求めて、人生を右往左往し、却って自分の中にある、
自己のいのちの尊厳を見失ってしまうのである。しかしそれは「うごかぬところへ行くためにうごくのだ」
と詩人はいう。



* 迷いには迷いの花が咲き、苦しみには苦しみの花が咲き、そこから真実の花が咲くのだ。
  まことに人間は、動かぬところへ行くために、自己の人生の中で迷い、悩んできたことを、
  つくづく思う。


(せがみ・としお)
俳誌 ≪南風≫
中日新聞 2006.10.1  から


ふぅ〜